
高安和夫(NPO銀座ミツバチプロジェクト理事長)
【プロフィール】
1965年、千葉県の養豚農家の長男として生まれる。国学院大学法学部法律学科卒業後、ナショナル住宅千葉パナホーム株式会社を経て、1999年農業生産法人 ㈲アグリクリエイトへ入社。2003年取締役東京支社長就任。現在に至る。2004年10月「銀座食学塾」、2005年4月「銀座食学塾米作り隊」、2006年3月「銀座ミツバチプロジェクト」を立ち上げる。2008年5月より「ファーム・エイド銀座2008」、同年10月より「銀座農業塾」を開催。農業分野のクリエーターとして銀座に農業を呼び込み『銀座里山計画』を推進中。

前回ご紹介したNPO法人銀座ミツバチプロジェクトの理事長である高安和夫さん。高安さんが長い間取り組んでこられたことは「農業」の新しいモデルづくりと環境保全型の農業の推進。そしてその一つの表現方法として立ち上がったのが、銀座のビルの屋上でミツバチを飼育し、その蜜を食材に使ってもらうことで農業や環境について考えるきっかけを提供していく『銀座ミツバチプロジェクト』なのだ。銀座を舞台に、「まちづくり」の観点から活動されてきた田中淳夫さんと、「食」と「農」の観点から活動されてきた高安さん。この二人の出会いで生み出された銀座ミツバチプロジェクトは昨年から、"都市と農村"を結ぶ運動としての『ファームエイド・銀座2008』を開催することで新たな局面に入っているようだ。そんな高安さんにこれからの「農業」をデザインしていくことについて聞いてみた。
1.30過ぎで転職。農業の世界へ、再び。
―高安さんの本業は「食」と「農」の会社アグリクリエイトの東京支社長。高安さんがこの世界に飛び込むきっかけについて教えて下さい。
私は養豚農家の長男として生まれたので、もともと農家になって家の後を継ぐ事を当たり前のように考えていました。ですから中学・高校時代は自ら約50頭の豚のオーナーになり、子豚の購入・肥育・出荷などの経験を積んできました。ですが大学受験を前にして、本当に農家になることが自分にとっていいことなのか疑問を持つようになったんです。その当時の農家というのは生産のみで、販売については専門外。工夫する余地がほとんどなく、クリエイティブな仕事に思えなかったわけです。そうやって考えれば考えるほど農業に魅力を感じなくなっていった。そこで親には申し訳なかったのですが、農業とは全く関係ない法学部に進学して、普通の企業に就職しました。
そうやって一般の企業人として働いていたわけですが、社会人になって偶然にワインの会で知り合った方から、農業の世界が大きく変化している状況を教えてもらう機会がありました。1980年代の後半から無農薬の農作物を自分たちで作って自分たちで売ろうという動きが始まっていたんです。お米もワインと同じで生産地ごとに特徴がある。マーケティング視点を持った新しい農業ビジネスの動きに可能性を感じました。
私は長い間、日本の農業というのはベルリンの壁崩壊前の東ドイツの自動車産業と同じなのではないかと思っていました。競争にさらされていないために、本来力を持っているはずなのに遅れた産業になってしまっている。新しい仕組みを入れることで農業は変われるはずなのに、と思ってきたので、こうした新しい動きにとても興味を持ちました。とはいえ、すぐには動くことができず長いこと農業と距離をとりながら、外からそうした動きを観察していていたんですね。たまたま"縁"があって今の会社の社長と出会うことで再び農業の世界に戻ることを決意しました。
なぜ今の会社を選んだのか、その時の私の選択のポイントは新しい動きが始まっていた""流通"ではなく、"生産"の会社を選んだというところにあります。なぜなら、最後は"生産"者が強くなると考えたからです。時代が進んで生産者がマーケティングをし、情報を発信するようになれば、流通はいらなくなるかもしれない。こうした生産主体の新しい仕組みを考えることで、社会を変えることができるのではないかと、今の会社に30過ぎで転職したんですね。
―そこからなぜ銀座ということになったのですか?
マーケティングということを考えた場合、商品価値をきちんと評価して買ってもらうことが重要だと考えました。そして日本で最も付加価値を理解して頂ける場所をリサーチした結果、銀座という結論を出したのです。ただいきなり価値を理解してもらうことはできません。そこで農産物の価値をきちんと理解してもらい、そのファンづくりをやっていくことが重要だと考え、始めたのが『銀座食学塾』です。2ヶ月に1度のペースで「食」と「農」に関するシンポジウムと交流会を開催することにしました。
やがてそうした座学から、実際のフィールドワークもやりたいと考えた私たちは、無農薬のお米を茨木で作るプロジェクト『銀座食学塾米作り隊』を始めました。しかし週末に茨城の現地行ける人はどうしても限られてしまう。そこで銀座にいて、一次産業に直接参加できる方法はないかと模索し始めたわけです。こうした問題意識を、銀座のまちづくりを考える『銀座の街研究会』の田中さんと共有でき、また偶然にも養蜂家の藤原誠太さんとの出会いが重なったことで、『銀座ミツバチプロジェクト』が生まれることになったのです。




